現場あれこれ

合わない相手とは会わないのが吉

建設ブログには似つかわしくないタイトルですね。ご容赦を。

子供の頃「人と人はわかり合える」などと学校やテレビで言われてきましたが、しかしこれほど現実離れした言葉はないと思っています。むしろ、わかり合える人間はごく少数。それが現実です。でないとこれだけたくさんの国ができるわけがありませんし、毎日これだけの暴行や傷害の事件が起きるわけがありません。

昨日、ツイッターにこのようにあげました。

僕は小学生から大学生の間に、3回交通事故に遭っており、最後の事故がこの「無保険者」との事故でした。僕のバイクは半損。向こうは傷程度。幸い僕はつなぎを着ていたので、滑っただけで怪我はしなかったのですが、相手に懇願され警察に届けなかった事が失敗でした。きっと無免許ではなかったかと今では思います。

まあそういう人間ですから対応は推して知るべし、最初は平身低頭下手に出ていた相手は一転、のらりくらりで費用の支払いを拒みます。お金云々よりその態度。こんないい加減な人がこの世にいたのかと当時は人間不信になり、それを救ってくれたのが母のこの言葉でした。

それ以降相手とは一切連絡を取らず、母から費用を借りて修理代を払い、バイトで後日返しました。なかなかの金額でしたが、言葉通り、嫌な相手と交渉するよりもバイト仲間と楽しく仕事をしている方が全然楽しかったです。また学校に行って授業を受けるのにもその後の大きなモチベーションとなったのでした。結果として僕にとってのこの経験は、その後の大きな糧になったと思います。

「世の中には自分の当たり前が通じない、全く違う価値観の人間がいる」

「合わない人と付き合っても何の得るものは無く、早く距離を置くべき」

「お金にこだわると物事を見失う。なくなった金はまた稼げばいいだけ」

「自分の時間は有限であり、それを何に使うかが何よりも大事」

今から考えると、あの経験は必然だったんだなあと思います。考えてみれば一歩間違えば命を失っていたかもしれない事故。そこからこれだけの学びが得られたのなら、本当に良かったですね。

人生を過ごしていると、学校や仕事でどうしても「合わない人」に会うことは避けられません。仕事上の付き合いならば、最小限の交渉でやり過ごす「知恵」も必要でしょう。

しかし、どうしても無理ならば、もうその人とは会わない方がいい。毎日毎日嫌な気分になるために仕事や学校に行っているのではありません。つらい思いまでして耐えず、そんな職場は辞めればいいし、学校だって行かなくてもかまわないのです。価値観が合わないのはもう仕方ないのです。歩み寄れない部分が人間にはあるのです。

僕も仕事を始めて30年が過ぎました。所長という立場ではもう10年以上を数えますが、いつも仕事をする協力会社さんの責任者は皆、価値感が合う人が多いです。媚びを売らない。改善に前向き、仕事自体が好き、できない事ははっきり言う、策を弄さない、馴れ馴れしくない。(勿論僕が発注側ですから、態度については割り引いて考えるべきですけどね。)

結局、似たもの同士が集まるんだなあ。そう思います。僕はあまり夜の付き合いもしないのですが、たまに行う(それもコロナのおかげでほとんど無くなりましたが)職場の会合でも本当に友達の様に接してくれる人ばかり、気兼ねなく楽しく飲めてます。

無理をせず、お互いの価値観を大切にして、それと共感できる人と頑張る。結局それが一番「いい仕事」なのではないでしょうか。